面接における「どうして?」という理由を問う質問は大喜利大会の開始の合図だ
こんにちは
109日目です。
本日は天気も良く、絶好の面接日和です。
そんな素晴らしい天気のなか面接を終えて、電車に揺られている竹原です。目の前に座ってる就活生らしき人が必死に就活ノート的なのを見ていて、真面目だなと感心するのと同時に、人生におけるターニングポイントでなんだかんだでフルコミットできない竹原は大学受験の時から変わらないなと勝手に対岸から思ってます。
そんな、面接終わりの竹原ですが
本日は、今日、面接をしていて思ったことを記事にしちゃおうと思います。
では、はりきっていってみよー!!
面接における「どうして?」という理由を問う質問は大喜利大会の開始の合図だ
最近、何かと人と話すことが多くて、その度に、本質を問うために「どうして?」という質問をする竹原です。
「どうしてその職種?」
「どうしてそう思ったの?」
まぁ、竹原的には深掘ってやってるぜ感でとても楽しいです。こういう質問の本質は50%のボランティア精神と50%の上から目線だと思ってます。
今日、面接やってて思いました。
この「なんで?」「どうして?」って質問は聞き手を選ぶということを。
というのも
勘無しに、「なんで?」「どうして?」って聞いてくるんです。それも執拗に。
例えば
「サッカーが好きです」
「どうして?」
「フィジカル面だけでなく、感覚だったり頭脳的な部分も必要なスポーツだからです」
「それって、どのスポーツにも当てはまるよね。どうしてその中でもサッカーなの?」
「え??」
こうなります。
この他にも
「どうしてサッカー始めたの?」とかも困ります。
ズバリ、ノリと勢いです。
人の選択なんでそんなものです。
その時、その時に手札にある最適解みたいなものをきっていく。サッカー始めたのだって、友達から誘われたからとかそのレベルでそんなものなのです。
確かに、なぜ?って聞く質問って相手の思考の癖を掴むには良い質問で、そんで相手のこともよくわかると思います。
でも、それを面接でやるのは微妙かなとおもいました。
というのも
なぜって深掘っても、割と答えがないことの方が多いから。
よく物事は原因と結果と言いますが、
これは同時に結果さえあれば、原因はどれだけでも操作することが可能ということ。
記憶に潜り込まれる訳でもないし、真相は本人のみぞ知るってやつです。
だったら、思うんです。
相手のほしがってる答えを提供するのが、就活生の仕事なのではないのかと。
ロジックでは説明できないことを、ロジックで説明できるように書き換えてあげる。全部理詰めで答えてあげる。
そっちの方が理解しやすい。
第一に就活生の答える質問の答えなんて、大概は事実に基づいたフィクションで、iPhoneのカルフォルニアでデザインされ、中国で組み立てられましたと同等で経験したのは私ですが、これを相手の意図を汲み取り拡大解釈したのはキャリセンのおじさんです。というレベル。
だからこそ、こういう深い質問をして、自分で考えさせ本質を引きずり出したい訳でしょうが。
「人生で初めての記憶は?」とか、聞かれてもね、、、。
そして、この質問にはその人の本質的な傾向を指し示す意味があるらしくて、その後の別の質問と整合性が取れないって言って詰められても、、、。
人って生まれた時から進む道は決まってるんすかって感じで少し不快です。
本とか読んで勉強熱心なのはいいけど、もう少し柔軟に考えてほしいものです。いろんな経験を経てスタンスの1つや2つ変わるでしょうよ。
何が言いたのかよくわからなかなりましたが
感覚レベルのところまで「なせ?」って質問がくると、回答側も困るから、それならそれでロジックで攻めますよと、そして、どうとでも過去を捻じ曲げますよと。就活生は自己分析をしに面接に行ってるんじゃなくて受かりに行ってるんだから。
嘘もつき続ければ事実になる。
よくないことだけど、就活やっててよく思います。
なんか人と人とのコミュニケーションって難しいなって思った一日。
それがお互いに思惑があってのものだと尚更。