竹ちゃんの世間に対するアレコレ

「当たり前の毎日に新しい視点を。新しい表現を」をテーマに、あまのじゃく大学生が日々の生活を新しい視点からシニカルに文字にしていこうと思います。 お付き合いいただけると幸いです。

We are カメラ中毒。スマホ中毒。

こんにちは

141日目です。

 

早稲田大学に潜入し、我が母校との差をまざまざと見せつけられて悲しくなっている竹原です。もっと我が母校は設備投資しよう!!駅名買って満足してる場合じゃない。

 

 

そんな竹原は

本日の朝、渋谷にいました。

すると渋谷の地下鉄の駅の出口付近に沢山の消防車が止まっています。

あれ、なんだろな〜なんて思いながらもスタスタと歩いていると

就活生らしき女性が、その救急車をスマホでパシャリ、きっとインターフェイス的にInstagram、それもストーリー。

 

その光景をみて、なんか不思議だなって思いました。

今日はそれを記事にしていこうと思います。

 

では、いってみよう!

 

We are カメラ中毒。スマホ中毒。f:id:thomas21:20170523014921j:plain

 

就活生らしき女性の消防車を撮影する様子に疑問をいだいた竹原なわけですが

いったい何に疑問をいだいたのか。

 

それは

「何のためにそれを撮影しているのか」

 

この出来事はあくまでもきっかけでしかないのですが

きっと写真や動画を撮ることの当初の意味って

出来事の記録だと思うんですよ。

言葉だと想像できないもを具現化する再現性の高いツール。

 

 

そうだとすると

写真を撮るという行為は

その光景を後々に再現するための記憶の手がかりとしての写真撮影と

その光景を他の人と共有するための写真撮影との

二種類に分かれると思います。

 

しかしながら、

昔は後者のような拡散前提の写真撮影は

あまりかんがえられなかったのかなと思います。

これほどまでにも家庭に機材が普及してないし。

そもそも、写真を共有する方法が出版物をだすか、アルバムをみせるかみたいなレベルだし。

 

そうなると

後者の拡散前提の写真という考えは比較的にあたらしいものなのかなと。

 

でも、今の写真の意義ってこっちだよなって思います。

 

前はフィルムだったこともあり、写真というように物が残ったが

今は、無制限にとることができるものの現物はない

データとして保存されても、量もあるため見返すものとしてはあまり機能しない。

そして、モノとしての接点を有さないため、見返されることもすくない。

つまり、記録は一応しておくもののデータはデータ。

 

そして、現代はTwitterやFacebookをはじめとするSNSの普及により

だれもが情報を発信することができるようになった。

 

だから、各々が質の低い情報を腐るほど世界に垂れ流すことができる。

その情報のなかに、消防車の写真やらは含まれるのかなと思います。

 

スマホ画面を通して

つながってる誰かの生活、だれかの視点を共有することができ

世界はひろくなってこれまででは接点のないできごとには出会うかもしれない

しかしながら、同時に情報の深さという点では浅くなったのかなと思う。

 

自分じゃない誰かの言葉を引用してしまえば

知った気になれるから。

 

何を言いたいのかよくわからなくなりましたが

SNSやカメラの小型化により簡単なテキストと写真だけで

多くの人々がプチジャーナリスト体験できるようになったはいいものの

そういう情報ってあんまり必要ないのかなって。

 

きっと「あ、ネタ見つけた」くらいの気で投稿してると思うんですけどね。

このブログと同様に。

 

スマホを見ている時間だけでなく、

日常生活でのふとした行動にまでスマホで撮影、投稿が

染み込んでると思うとちょっとした恐怖すら感じます。

 

なかでも理解できないのが

よくニュースなどにある視聴者から提供された事件などの映像。

目の前で事件が起こっててまっさきにスマホをだす神経。

理解しがたい。

 

 

といっても、面白い人がいたら

すぐにスマホのメモに書き込みますが。

 

 

 

なんか、スマホ中毒だなって思います。

スマホないと生きていけないもんな。